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東京地方裁判所 昭和34年(行)33号 判決 1961年11月09日

原告 柳川宗左衛門

被告 国 外四名

訴訟代理人 木下良平 外四名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の申立

原告訴訟代理人は「原告に対し、(一)被告国は、別紙目録記載の(一)ないし(一一)の土地について、同被告(農林省)のためになされたところの、(二)被告高島は同目録記載の(一)ないし(四)及び(一〇)の土地について同被告のためになされたところの、(三)被告長尾は、同目録記載の(五)、(六)及び(一一)の土地について同被告のためになされたところの、(四)被告堀口は、同目録記載の(七)及び(八)の土地について同被告のためになされたところの、(五)被告長島は同目録記載の(九)の土地について、同被告のためになされたところの、同目録記載のごとき各所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。(六)被告高島は、同目録記載の(一〇)の土地を、被告長尾は、同(一一)の土地を、それぞれ原告に対し、明渡せ。」との判決を求め、被告国指定代理人及び被告高島、同長尾、同堀口、同長島(以下被告高島等という)訴訟代理人は、いずれも主文と同旨の判決を求めた。

第二請求の原因

一  別紙目録記載の(一)ないし(一一)の土地は、もと原告の所有であつたが、被告国は、右(一)ないし(八)の土地については昭和二四年七月二日、(九)の土地については同年三月二日、(一〇)及び(一一)の土地については昭和二三年一二月二日いずれも、被告高島等の申請に基づいて、右のうち、(一)ないし(八)の山林については、自作農創設特別措置法(以下単に自創法という)第一五条第一項第一号により農地の利用に必要な農業用施設として、(九)ないし(一一)の宅地については、同項第二号の、被告高島等が使用権限を有する宅地として、それぞれ、原告より買収し(以下単に本件買収処分という)即日、同法第二九条により、(一)ないし(四)及び(一〇)を被告高島に、(五)、(六)及び(一一)を被告長尾に、(七)及び(八)を被告堀口に、(九)を被告長島に売り渡し、(以下単に本件売渡処分という)右買収並びに売渡しに基づいて別紙目録記載のように、それぞれその旨の所有権取得登記がなされている。

二  しかしながら、本件買収処分には、次のような、重大かつ明白なかしがあるから、無効である。

(一)  本件買収処分は茨城県鹿島郡旧若松村農地委員会の定めた買収計画に基づいてなされたものであるが、同委員会の右買収計画の議決には、無資格の農地委員が関与している。すなわち、訴外高島忠蔵は、被告高島の養父であるが、同訴外人としては、何等の小作地自作地を所有していなかつたのにかかわらず、昭和二一年一二月二〇日、前記旧若松村農地委員会の農地委員に小作人としての資格で選出され、その後、前記買収計画が議決された当時においては、同農地委員会委員長として右の議事及び議決に関与しているが、かかる無資格の農地委員が関与してなされた農地委員会の議決は無効であるから、右の無効な議決に係る買収計画に基づいてなされた本件買収処分もまた無効である。

(二)  別紙目録(一)ないし(八)の山林(以下単に本件山林と言うことがある。)買収については、さらに次のような重大かつ明白なかしがある。

(イ) 右山林は、いずれも自創法第一五条第一項第一号、第二九条に言う、農地の利用に必要な農業用施設に該当せず、被告高島等にとつて必要のないものである。右山林が防風防砂林として必要でないことは、もし真に防風防砂林として必要なものなら本件山林地上に生育する原告所有の立木も併せ買収する必要があるにもかかわらず、被告国はこれを買収していないこと、被告高島等と同一条件の田畑を有する農家が同被告等の近辺に一四〇戸以上もあり、もし真に防風防砂林として必要ならば、それらの農家のためにも山林の付帯買収がなされねばならぬのに、そのような事実がないこと、現に、本件山林中の一部には開こんされてある部分もあること、防風防砂の目的のためには本件山林の他に海岸に沿つて官有地があり、県又は国が植林し、又植林する予定の防風防砂林が存在していること、などに照らして明らかというべきである。

(ロ) 仮に本件山林が防風防砂のために必要な農業用施設として買収し得るとしても、右目的のために必要以上の土地を買収することは付帯買収の目的及び要件に照らして許されないところであるのに、本件山林は、いずれも防風防砂林としての必要限度を越えており、特に被告長尾、同堀口の取得した分について著しい。

(ハ) 被告高島等の本件山林についての自創法第一五条による買収申請は無効である。すなわち、同条による買収申請をなすには、その者が農地の売渡しを受けた時から一年以内でなければならないのに、同被告等が農地の売渡しを受けたのは昭和二二年一二月二日であり、右買収申請をなしたのは右期間を経過した昭和二四年四月二二日であるから、かかる申請は無効であり、従つて、右申請に基づいてなされた本件山林の買収処分も無効である。

(ニ) 特に被告高島に売り渡された(一)の山林については、(一〇)の宅地を囲繞するところの農業用施設として買収されたものであるが、後記のごとく、右宅地は被告高島のための農業用施設ではないのにこれを同被告のために買収したもので、右宅地買収は無効なものであるから、右宅地を囲繞する農業用施設として(一)の山林を同被告のために買収したのは無効である。

(ホ) また、被告長尾に売り渡された(五)、(六)の山林については、同被告は、昭和二一年一〇月四日外地から引揚げ国からの引揚人に対する給付を受けていて、耕作者調査当時は当地に在住せず、何等の小作地も有しなかつたものであるから、自創法第一五条の買受申請をなす資格がなく、右買収申請は無効というべきで、これに基づく、右買収処分も無効であり、更に、本件(五)、(六)の山林が囲繞する田畑はすべて訴外長尾安蔵の所有するものであり、同被告の所有する部分は一筆もないのに、これを同被告のための農業用施設として買収した処分は無効である。

(三)  別紙目録記載の(九)の被告長島に売り渡された宅地の買収処分には、次のような重大かつ明白なかしがある。

(イ) 被告長島は当時非農家であつて、政府から農地売渡しを受けた事実もなく、小作地を所有していた事実もないから、自創法第一五条の買収申請をなす資格がない。仮に政府から農地の売渡しを受けた事実があつたとしても、同被告は適法に小作をしていたことはなく、従つて、農地の売渡しを受ける資格がないので、同被告に対する売渡し自体が無効であるから、いずれにしても買収申請をなす資格がないことに変りはない。

(ロ) 右宅地は、買収当時においてすでに現況宅地であり、自創法第五条一項五号の法意からみても、当然買収から除外されるべき土地である。

(ハ) 同被告は、右宅地を、原告に無断で何等の権限なしに原告所有の山林の一部の樹木を伐採して宅地化したものであつて、自創法第一五条一項二号に言うところの、右宅地についての賃借権使用借権等適法な使用権限を有しないから、同条によつて買収することはできない。

よつて、右(九)の宅地の買収処分も無効である。

(四)  別紙目録記載(一〇)の被告高島に売り渡された宅地の買収処分は、同地上に訴外高島忠蔵が昭和一七年以来現在に至るまで合計六七坪の家屋を建築所有しており、従つて右宅地は被告高島のための農業用施設ではないのに、これを同被告のための農業用施設として同被告の申請に基づいてしたものであるから無効である。

(五)  別紙目録記載の(一一)の被告長尾に売り渡された宅地の買収処分は右宅地買収申請のなされた昭和二三年一〇月当時まだ何等の農地の売渡しを受けていないばかりか小作地も所有しておらず、従つて買収申請資格を欠いていた同被告の申請に基づいてなされたものであり、また右宅地上に存する建物は訴外長尾安蔵のものであつて、同被告のものではないから、右宅地は、同被告のための農業用施設ではないのに、これを、同被告のための農業用施設としてしたものであるから、無効である。

三  以上のとおり、本件土地の買収処分は、当然無効であり、従つて右買収処分を前提とする本件売渡処分もまた当然無効であるから、本件山林及び宅地は依然としていずれも原告の所有に属し右各処分を原因とする上記各所有権取得登記はいずれも抹消されるべきものである。又被告高島は、別紙目録記載(一〇)の宅地上に、被告長尾は同目録(一一)の宅地上に、いずれも正当の権原なく居住してこれを占有し、原告の所有権を侵害している。

よつて、原告は各被告等に対し、右各所有権移転登記の抹消登記手続、並びに、被告高島、同長尾に対し、右各占有に係る宅地の明渡を求める。

第三被告等の答弁及び主張

一  原告主張の第二の一の事実は認める。

二(一)  同第二の二の(一)について。訴外高島忠蔵が原告主張のように小作的階層より選出されて旧若松村農地委員会の委員となり、本件買収計画の議決に関与した事実は認めるが、無資格であつたという点は否認する。すなわち、同訴外人は被告高島の養父としてこれと同一世帯にあり、共に生活しているものであるが、同被告は、小作地につき耕作業務を営み、小作的階層に属し、かつ当該市町村の区域内に住所を有し、法定面積の農地につき耕作の業務を営んでいた者であるから、昭和二一年一〇月二一日公布法律第四二号農地調整法一部改正法(同年一一月二二日施行)第一五条の二第二項第一号、第一五条の三第一項の規定により小作的階層より選挙せられて委員となる資格を有する者であり、右訴外人も同法第一五条の二第五項、第一五条の三第一項にいわゆる同被告の「同居の戸主又は家族」として、又昭和二二年五月三日以降においては同年一二月二六日公布法律第二四〇号農地調整法一部改正法(上記各規定は同年五月三日から適用)にいわゆる「同居の親族又はその配偶者」として、これらの規定により同被告と同じく小作的階層から選挙せられて委員となる資格を有していたものである。

(二)(イ)  同第二の(二)の(イ)(ロ)について。本件山林が、被告高島等の耕作する農地のために必要な防砂用農業用施設として買収されたこと、原告主張の立木が買収せられなかつたことは認めるが、その余の事実は否認する。すなわち、別紙目録記載(一)ないし(四)の被告高島の取得した山林は、同被告のために売り渡された農地である右山林所在地と同字の一一四六番田一反三畝一五歩、同所一一五七番畑二二歩、同所一一五八番畑二九歩、同所一一五九番田七畝九歩、同所一〇九六番畑八畝二一歩、同所一〇九七番田一畝一〇歩、同所一〇九八番畑三畝、同所一〇九九番の三田六畝七歩、同所一一〇〇番畑五畝二三歩、同所一一〇二番田一畝一八歩、同所一一〇三番畑六畝一六歩及び同所一一〇四番田五畝八歩の、同目録記載の(五)、(六)の被告長尾の取得した山林は、同被告のために売り渡された農地である右山林の所在地と同字の三一三五番田一反三畝七歩、同所三一四七番畑一反五畝、同所三一四八番田一反一畝三歩、同所三一四九番田九畝、同所三一五〇番畑三畝二二歩、同所三一五一番畑二畝一一歩、同所三一五二番田三畝二〇歩、同所三二一二番畑一反九畝四歩、及び同所三二〇九番畑一畝の、同目録の(七)、(八)の被告堀口が取得した山林は、同被告のために売り渡された農地である右山林の所在地と同字の三三八八番田九畝五歩、同所三三九一番田三畝一歩、同所三三九二番畑一畝二二歩、同所三三八九番田二畝二一歩、同所三三九〇番田三畝二五歩、同所三三八六番畑四畝二二歩、同所三三八七番田五畝一八歩、同所三三八二番田四畝七歩、同所三三八一番畑七畝一七歩、同所三三七九番田六畝一〇歩、同所三三七八番田三畝二〇歩、同所三三八三番田一畝一七歩、同所三三七七番田六畝一五歩、同所三三六一番田一反二七歩、同所三三六二番田一畝二八歩、同所三七三二番田一畝一二歩、同所三三六七番田一反二二歩、同所三三七一番田三畝二〇歩、同所三三七〇番田二畝、同所三三六九番田二畝二歩、同所三三六八番畑八畝一九歩、同所三三七二番畑九畝二歩、同所三三七三番畑三畝二七歩、同所三三七四番畑五畝一二歩及び同所三三七五番畑七畝二三歩の、各防風防砂林を構成している。なお原告は、昭和三五年三月九日の本件口頭弁論期日において上記事実を認めながら、同年四月一八日の本件口頭弁論期日においてこれを撤回しているが、右原告の自白の撤回には異議がある。現地一帯は砂地であつて干害を受け易く、また季節風による砂の移動が激しいために、右山林の敷地は概ね農地を囲繞する高台として形造られ(或いは土を盛つて高台とすることの困難な場合は、これに代えて、山林の幅員を広くとつた上)、そこに立木を密生させることによつて右山林が防風防砂林として形成されたもので、右農地の利用上、不可欠な施設をなしているものであり、かつ、かかるものとして広きにすぎる部分はない。又防風防砂林としての効用は、単にそれが囲繞する農地一筆にのみ限定されるものでないこともあきらかである。更に又これらの山林は、防潮風防砂林としてのみならず、牛馬の繋留、採草、飼料、薪炭林乾燥架の代用等の施設としても必要なものである。次に右山林敷地上の立木は、各被告等の所有に属するもので、原告の所有ではないから、これを併せて買収する必要のなかつたものである。すなわち、右山林敷地は、各被告等がかつて原告所有の前記農地を小作するにつき、それに付帯して防風防砂林の敷地とするため、原告からその無償使用を認められ、現存する地上立木はいずれも被告高島等がそれぞれ自費で植樹したものである。

(ロ)  同第二の(ハ)について。被告高島等が本件山林について買収申請をした年月日、並びに同被告等が農地の売渡しを受けた年月日が原告主張のとおりであることは認めるが、買収申請期間を徒過した事実は否認する。すなわち、昭和二四年法律第二一号農地調整法一部改正法は、第八条の規定において、自創法第一五条第一項の付帯買収申請期限を農地の売渡しを受けた日から一年以内と定めたが、経過措置として、同法第一〇条は、昭和二四年六月二〇日(同法施行日)以前に、自創法第一六条の規定による農地の売渡しを受けた者については、同法第一五条第一項の規定中「同条の規定による農地の売渡をうけた日から一年以内」とあるのは、「この法律施行後一ヶ年以内」と読みかえる旨規定しており、右経過規定に照らすと、本件付帯買収申請には何等のかしがない。

(ハ)  同第二の(二)の(ニ)について。後記のごとく、(一〇)の宅地買収が有効である以上、原告の主張は失当である。

(ニ)  同第二の(二)の(ホ)について。被告長尾に買収申請すべき資格がなかつた点その他の事実は否認する。すなわち被告長尾と同一世帯にあり同被告と共同して生活している同被告の父安蔵は、本件付帯買収申請前の昭和二二年一二月二日に、自創法により本件山林の囲繞する農地の売渡しをうけていたが、同人はすでに老令のため、同被告が世帯の中心となつて、農地の管理耕作業務、家事の処理をなして来たものである。しかしてわが国の農業経営の実体が個人単位でなく、世帯単位であることを考えると、自創法第一五条により付帯買収をなし得る「自作農となるべき者」も、個人単位でなく、世帯単位に考え、単に農地の売渡しを受けた者のみならずその者と同一世帯にあり、経営の主体としてその農地を耕作する者をも含むものと解すべきであつて、このことは本来自創法が当然予想しているところのものである。そうだとすると、被告長尾において本件山林の買収申請をなすについて何等のかしはない。更に又本件山林が囲繞する農地はすべて父安蔵の所有であつて、同被告のものは一筆もないことは認めるが、これも前叙の理由により同被告の買収申請を妨げるものではない。

(三)  同第二の(三)のうち、(イ)は否認する。被告長島は、本件宅地買収申請前である昭和二三年一二月二日に、本件宅地の所在地と同大字の字二本松二〇九二番の一四畑七畝、同所二〇九二番の一五畑一反の売渡しをうけ、更に本件宅地と同時に同大字字松代二三八四番の三、畑八畝を、昭和二五年一二月二日に、同大字字浜松二四八七番の一田四畝四歩、同大字字若松二八一四番田一反二〇歩、同所二八二六番田四畝二一歩、同所二八三六番畑一反一五歩、同大字字二本松二〇六二番畑五畝二九歩のそれぞれ売渡しを受け、同被告が本件宅地買収申請当時、農地の売渡しを受け自作農となるべき者であつたことは明らかである。(ロ)は争う。(ハ)は否認する。(九)の宅地は、もと訴外鈴木光司が原告から無償で借り受けた山林の一部で、当時地目は山林で、現況は荒れた桑畑であつたが、昭和二〇年四月頃居宅の敷地を求めていた同被告が原告の承諾をうけて同訴外人から転借し、これを宅地化し、以来同地上に建物を建築所有しているものであつて、適法な使用権限を有していたものである。このことは、昭和二四、五年頃、毎年米一升あて右訴外人を経由して原告に納入していた事実からも明らかである。

(四)  同第二の(四)について。被告高島が取得した(一〇)の宅地上に訴外高島忠蔵が原告主張のような建物(もつとも右建物中、居宅木造草葺平家一八坪は現在存在しない。)を昭和一七年頃より所有していることは認めるが、その余の主張は争う。同訴外人は、同被告の養父であることは前叙のとおりであり、しかして、同被告は同訴外人と同一世帯にあつて、共同して農業を営んでいたが、同被告が主力となつて農耕に従事し、家事を処理し本件宅地の管理をして来たものであるから、仮に、同被告自身は、本件宅地につき、何等の使用権限を有しなかつたにしても、同一世帯にある、右訴外人において本件宅地を原告より適法に借り受けている以上、同被告が、自創法第一五条の付帯買収の申請をなし得ると解すべきことは、前叙のとおりである。

(五)  同二の(五)について。被告長尾が本件宅地買収の申請をした当時においては、同被告が何等の農地の売渡をうけていないこと、本件宅地上に存する建物が訴外長尾安蔵の所有であることは認めるが、その余の主張は争う。同被告が本件宅地(二)の買収申請をなす資格を有していたことは、前記第三の二の(二)の(ニ)において述べたとおりである。

三  同第二の三の主張は争う。

四  同第二の四の事実中被告高島、同長尾による占有の事実は認める。

第四被告等の主張に対する原告の答弁及び反論

一  本件山林が被告等主張の各農地に対する防風防砂林を構成することにつき原告がした自白は、真実に反し、かつ、錯誤に基づいてなされたものであるから、これを撤回する。

なお、本件山林付近一帯の土地が、砂地で干害を受け易く季節風による砂の移動が激しいことは認めるが、そのために海岸一帯に別に防風防砂林が存するから、本件山林は防風防砂林として格別の必要性を欠くものである。又本件山林敷地を被告高島等に使用貸借させたことはなく、そこに生育する立木も被告等において植樹したものではなく、すでに徳川時代において原告の祖先柳川秀勝が開拓に志しており、歴代苦心惨胆、砂漠のような土地に植樹し、田畑を作り、今日に至つたものであつて、立木の所有権は原告にあるものである。

二  被告等主張の第三の二の(二)の(ニ)の事実中、右山林が囲繞する農地を昭和二二年一二月二日に訴外長尾安蔵が国より自創法に基づき売渡しを受けていたことは認める。同二の(三)の事実中、原告が本件(九)の宅地の使用を訴外鈴木に許したこと、原告が右訴外人から被告長島への右土地の転貸及びその宅地への転用を承諾したこと、同被告が右宅地の使用について、賃料を物納していたことは、いずれも否認する。

第五証拠関係<省略>

理由

一  別紙目録記載の(一)ないし(一一)の土地は、もと原告の所有であつたが、被告国は、右(一)ないし(八)の土地については昭和二四年七月二日、(九)の土地については同年三月二日、(三)、(一一)の土地については昭和二三年一二月二日いずれも被告高島等の申請に基づいて、右のうち(一)ないし(八)の山林については自創法第一五条第一項第一号により、農地の利用に必要な農業用施設として、(九)ないし(一一)の宅地については、同項第二号の被告高島等が使用権限を有する宅地として、それぞれ原告より買収し、それぞれ即日、同法第二九条により(一)ないし(四)及び(一一)の土地を被告高島に、(五)、(六)及び(一一)の土地を被告長尾に、(七)及び(八)の土地を被告堀口に、(九)の土地を被告長島に売り渡し、別紙目録記載のように各その旨所有権取得登記を経ていることは当事者間に争いがない。原告は、右買収処分には、明白、重大なかしがあるから無効であり、その買収処分を前提とする本件売渡処分も無効であると主張し、被告等はこれを争うので、以下原告の指摘するかしの有無について順次判断する。

二  原告は、まず第一に、本件買収処分の基礎をなす買収計画の議決には、無資格の農地委員である訴外高島忠蔵が委員長として関与しているから無効であると主張するので、この点について判断するに、右訴外人が昭和二一年一二月二〇日、旧若松村農地委員会の委員に、小作的階層より選挙され、その後、同農地委員会委員長として、本件土地買収計画樹立の議事に関与したことは、当事者間に争いがなく、同訴外人が当時同人名義の小作地あるいは自作地を所有していなかつたことについては、被告等において明らかに争わないからこれを自白したものと見做す。ところで同訴外人が農地委員に選出された当時の農地調整法(昭和二一年一〇月二一日公布法律第四二号による一部改正に係るもの)第一五条の二第三項第一号の市町村農地委員会の委員の選挙区分のうちいわゆる小作的階層に属する者については、同条第五項により、その者の同居の戸主又は家族も、その該当者と見做されることになつており、更に同法第一五条の三第一項により、当該市町村の区域内に住所を有し、命令を以て定むる面積の農地につき、耕作の業務を営む者もしくは当該市町村の区域内において命令を以て定むる面積の農地を所有する者又はこれらの者の同居の戸主若しくは家族は、当該市町村農地委員会委員の選挙権及び被選挙権を有する旨定められていた(右規定中「同居の戸主若しくは家族」は、昭和二二年一二月二六日公布の法律第四〇号農地調整法一部改正法により「同居の親族若しくはその配偶者」と改められている。)。しかして被告高島が前記訴外人の選出当時旧若松村内に住所を有し、法定面積の農地につき、耕作の業務を営んでいた者で、かつ、小作地につき耕作業務を営み、小作的階層に属する者として農地委員の選挙権被選挙権を有していたことは、原告の明らかに争わないところであるから、これを自白したものと見做すべく、又証人高島忠蔵、同長尾安蔵の各証言によれば同訴外人は被告高島の養父で、両者は当時同一世帯に属し、同一家屋に同居して生活していた事実を認めることができ、右認定に反する証拠は何もないから、結局、同訴外人は、少くとも同被告の「同居の家族」又は、「同居の親族」として小作的階層より農地委員に選出される資格を有していたことは、明らかである。従つて、同訴外人は農地委員会の委員として適法に選出され、本件山林宅地等の買収計画の議事に関与する資格を有していたものであり、その資格を有しないことを前提とする原告の主張は理由がない。

三  次に原告は、別紙目録(一)ないし(八)の山林は、自創法第一五条第一項第一号に言う農地の利用に必要な農業用施設に該当しないのに、これに該当するものとして買収をした違法があると主張する。ところで、被告等は右山林が、自創法第一六条により被告高島等に売り渡された被告等主張の農地の防風防砂林を構成するものと主張し、これに対して原告は昭和三五年三月九日の本件口頭弁論期日において右事実を認めながら、同年四月一八日の本件口頭弁論期日において、右自白は真実に反し、かつ、錯誤に基づくものとしてこれを取り消し、被告等はこれに異議を述べているので、まず右自白の撤回の効力について判断する。原告本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第九号証、証人高島忠蔵、同宮沢雄司、同鈴木光司、同長尾安蔵、同近藤福弥、同柳川洋一の各証言、原告柳川宗左衛門、被告長島三子雄各本人尋問の結果及び検証の結果によれば、本件山林及び被告高島等が耕作する農地を含む附近一帯は、東方三〇〇メートルを隔して鹿島灘に接する海岸線に沿つた砂地の土地で、江戸時代においては日川砂漠と呼ばれる不毛の土地であつたが、弘化三年原告の祖先柳川秀勝がその父秀一とともにこれが開墾を企て、幕府から官地数百町歩の払下を受け、太平洋の海風による砂の移動と潮風により作物の被害を防ぐために海岸に沿つて防風用植林に努めるとともに、田畑の開墾に着手し、爾来原告の祖先が中心となり、被告高島等附近農民の祖先等を使役し、あるいはその協力を得て開発に努めた結果、不毛の地といわれた砂漠地の開墾に成功し、柳川新田と呼ばれる農地地帯の形成をみるに至つたこと、これらの地域においては、海岸線に沿つて一帯の山林が南北に連なつているほか、その内側においてもその耕地の周辺はおおむね帯状の細長い松を主体とする山林に取り囲まれ、これらの山林は大体において田畑より五〇糎ないし一メートル位高く、その上に松等の樹木が生育し、海岸から吹きつける風に対してこれらの田畑を保護するような形状になつていること、本件山林も、別紙目録記載(一)の山林は茨城県鹿島郡波崎町柳川字松蔭一一四六番田一反三畝一五歩、同一一五七番畑二二歩、同一一五九番田七畝九歩、一一五八番畑二九歩の土地をほぼ取り囲む帯状の土地、同(二)の山林は同所一一〇三番畑六畝一六歩と同所一一〇二番田一畝一八歩、一一〇〇番畑五畝二三歩、一〇九九番の三田六畝七歩の間に介在する歪な長方形の土地と右一一〇〇番の畑、一〇九九番の三の田、同所一〇九八番畑三畝、一〇九七番田一畝一〇歩の北側を東西に走る細長い土地、同(三)の山林は、右一一〇六番の二の山林と道を隔てて同所一〇九六番畑八畝二一歩に鍵状に沿つて右一一〇六番の二の山林と平行に走つている細長い土地、同(四)の土地は同じく一一〇六番の二の土地と道を隔てて東西に走る細長い土地、同(五)の山林は、波崎町柳川字喜多村上三二一〇番宅地一六四坪(別紙目録記載(一一)の土地)と同所三二〇九番畑一反五畝の土地を取り囲む土地、同(六)の山林は、同所三一三五番田一反三畝七歩、同所三一四七番畑一反五畝、同所三一四八番田一反一畝三歩、同所三一四九番田九畝、同所三一五〇番畑三畝二二歩、同所三一五一番畑二畝一一歩、同所三一五二番畑三畝二〇歩、同所三二一二番畑一反九畝四歩の間に介在し、これらの田畑を取り囲むような形になつている土地、同(七)の山林は、波崎町柳川字喜多村上三三八八番田九畝五歩、同所三三九一番田三畝一歩、同所三三九二番畑一畝二二歩、同所三三八九番二畝二一歩、同所三三九〇番田三畝二五歩、同所三三八六番畑四畝二二歩、同所三三八七番田五畝一八歩、同所三三八二番田四畝七歩、同所三三八一番畑七畝一七歩、同所三三七九番田六畝一〇歩、同所三三七八番田三畝二〇歩、同所三三八三番田一畝一七歩、同所三三七七番田六畝一五歩、同所三三五七番の畑、同所三三八四番の宅地の間に介在し、これらを取り囲む形状にある土地、同(八)の山林は、同所三三六一番田一反二七歩、同所三三六二番田一畝二八歩、同所三七三一番一反三畝二八歩、同所三七三二番田一畝一二歩、同所三三六七番田一反二二歩、同所三三七一番田三畝二〇歩、同所三三七〇番田二畝、同所三三六九番田二畝二歩、同所三三六八番畑八畝一九歩、同所三三七二番畑二歩、同所三三七三番畑三畝二七歩、同所三三七四番畑五畝一二歩、同所三三七五番畑七畝二三歩の間に介在しほぼこれらの田畑を取り囲む形状にある土地であり、これらの山林においてはその密度、樹令大きさ等は一様でないが、六、七メートルないし二〇メートルぐらいの主として松の樹木がかなりの密度で生育し他の山林と同様これらの農地を潮風から保護する状況にあることをそれぞれ認めることができる。これらの事実に照らせば、本件山林はいずれも被告等主張の農地の防風防砂林としての機能を営んでいるものと認めるのが相当であるから、原告の自白は真実に反するものとはいえず、その撤回は許されないところといわなければならない。

よつて進んで本件山林がこれらの農地の利用に必要な農業用施設として付帯買収の要件を充足するかどうかを検討する。この点につき原告はまず本件被告等の農地については、本件山林の他に海岸線に原告所有のいわゆる直轄地といわれる山林あるいは県又は国が官有地上に計画的に植林し、又は植林する予定の防風防砂林があり、防風防砂のためには、それらで充分であるから、本件山林の買収は、その必要性を欠くと主張する。検証の結果によると、右の県又は国が計画的に植林している防風防砂林なるものは海岸に沿い、海岸から数百メートルの間に存在する砂丘上に点々と植栽され、まだらな松林状をなしているものであるが、これらは現状においても完全な林の状態になつているわけではなく、それらの植栽された松樹も相当に枝をはつているものの高さは大きいもので約一メートル少々にすぎず、したがつて、これらは同地上にある柵と共にある程度砂の移動等を防ぐことはできても、これのみによつて充分な防風防砂の効果を期待することはとうてい不可能な状態にあることが認められるし、また、証人宮沢雄司の証言、原告本人尋問の結果及び検証の結果によると、附近一帯の農地と海岸との間には、これらの農地を囲む山林のほかに、前記のように海岸に沿つて南北に一帯の松林が走つており、これらの松林は、場所によつて広狭はあるけれども、主として海岸沿いの部分は、いわゆる原告の直轄地と称されるものであつて、これが附近の農地に対して防風防砂上重要な役割を果していることを認め得ないではないけれども、農地保護のためにはこれらの山林のみでは必ずしも充分ではなく、さればこそこれらの農地においては、なおその外に、その周囲に帯状の山林地帯をめぐらし、各農地の保護をはかつていることが認められるのであつて、本件山林と前記被告高島等に売り渡された農地と右と同様の関係にあること上記認定のとおりであるから、いわゆる原告の直轄地なる山林の存在は、本件山林の防風防砂林としての必要性を阻却するものということはできない。次に原告は、本件山林敷地上の立木は原告の所有するものであり、敷地のみの買収では、防風防砂用として必要な農業用施設の買収とは言えないと主張するに対し、被告らは本件山林敷地上の立木は被告高島等の所有であつて原告の所有ではないから、敷地のみを買収したものであると抗争するので、以下に本件山林の立木所有権の帰属について判断する。前掲甲第九号証、成立に争いのない乙第六号証、証人椎名恵一、同長尾安蔵、同高島忠蔵の証言により真正に成立したと認められる乙第七号証の一ないし七(もつとも乙第七号証の五については、その成立につき、明白な証拠はないが、同証人等の証言と、文書の体裁からその成立の真正を認めるに難くない。)と右各証人及び証人柳川洋一の各証言、並びに原告本人尋問の結果を綜合すると、次の事実を認定することができる。すなわち、前記柳川新田の開発に当つては、柳川秀勝以降原告の先祖が代々中心となつてこれを行なつてきたものであるが、被告高島等その他附近一帯の農民も先祖代々右開発に協力し、あるいは、原告方の開墾した農地を借り受け、あるいは原告方所有の土地を自から開拓して農地とした上、これを、原告方より小作地として借り受け、代々耕作していたこと、柳川新田一帯に生育している山林は、もともと右柳川秀勝以下原告の祖先が植林に努めた結果造成されたものであるが、農地の開発に伴い、その周辺に存在する山林はひとり防風防砂用としてのみならず後記のように農地耕作上種々の用途に必要な土地として、これらの農地の小作人にその使用を許され、さらに正確な年月日は不明であるが、少くとも数十年以前から右山林はいわゆる直轄地の部分と小作人等の自由な伐採植継を許される部分とに分けられるようになり、前者は前記のように主として海岸沿いにある一帯の山林でこれは完全な原告家の所有林として小作人等がこれに手を触れることを許されなかつたが、後者は、主として各小作地の周辺を囲み農耕上種々の用途に供される部分の山林で、これについては、それぞれの小作人において自由に立木を伐採してこれを売却したり、あるいは自家の用途に充てることができ、また各小作人は、自己の費用において苗木を購入して、これらの土地上における山林育成に努め、これら山林上の立木の大小又はその多寡によつて、その小作人の財産状況が推測されるまでになつていたこと。しかして原告方においても、右山林上の立木の処分について、各小作人に対し、今までに一度も異議を述べたことがなく、むしろ、原告方において、右立木を小作人から買取つた事実さえあること、本件山林も右にいわゆる自由伐採植継を許された山林であつて、被告高島の父忠蔵等が苗木を購入して植樹し、生育せしめた樹木が相当多数含まれていること、本件買収後最近において本件山林と同様な条件の山林につき、原告と、訴外数名との間において、任意に売買契約がなされたが、その際山林の価格を決定するについて、立木の価格は一切考慮されず、単にその敷地の面積のみによつて価格が定められたこと、を認めることができる。以上の認定に反する証人柳川洋一の証言、原告本人尋問の結果は、前掲各証言に照らし、信用し難く、他に右認定を左右する証拠はない。右のように本件山林は数十年前から被告高島等又はその前主において無償でその立木を自由に伐採してこれを処分することができ、かつ、その跡に植樹することを許されて植樹を行なつて来たものである事実に徴するときは、右にいわゆる直轄地を除くその余の農地耕作者において自由に伐採植継することの可能な山林地上の立木はこれらの耕作者が植樹した部分はもちろん、そうでない部分も、単にその使用のみならず処分の権能をも与えられていたことからみて、それらの耕作者すなわち本件山林について言えば、被告高島等又はその前主の所有に属せしめられていたものと認めるのが相当であり、したがつて、これらの立木を除外して地盤のみを買収したことはむしろ相当な措置であつて、原告の主張するような違法はないといわなければならない。のみならず、仮に右立木につき被告高島等の所有権を認めることができないとしても、地上立木は必ずしも地盤と同時にこれを買収しなければならない必要はなく、地盤買収後地上立木の買収を行うことも当時においては可能であつたし、又万一右立木が原告により取り去られても、その跡に被告等が植林して防風防砂林を造成することも不可能ではないのであるから、原告主張のように地盤のみの買収は必要性を欠く違法な処分であるとすることはできない。

原告は更に、本件土地近辺には、本件被告等と同様の条件の山林を有し、かつ、農地の売渡しを受けた農家が一四〇余戸も存在するのに、農業用施設として買収処分を受けたのは、被告高島等三名についてにすぎないところからみても、本件山林が真に農地の利用に必要な農業用施設でないことが明らかであると主張するが、原告主張のような事実の存在によつて直ちに本件山林が被告高島らの農地利用に不要なものであると断ずることはできないのみならず、証人宮沢雄司、同鈴木光司、同近藤福弥、同高島忠蔵、同長尾安蔵の各証言によると、被告高島等以外の農家も同被告等と同様にその耕作する農地の周辺にある原告所有の山林を農業用施設として買収売渡処分されることを望みそれぞれ買収申請をなし、当時旧若松村農地委員会でも一三〇名以上につき、買収計画を定めたけれども、先祖代々より大地主として、絶大な権威を持つ原告の圧力と、従来からの地主、小作人という義理人情により、本件被告高島等三名を除いて、すべて申請を取り下げ、結局買収処分をうけたのは、同被告等のみになつた事実を認めることができるから、原告の右主張は採用の限りでない。

以上説示のとおり、本件山林は、被告高島等が自創法第一六条により売渡しを受けた前記農地(この事実は原告の明らかに争わないところであるから、自白したものと看做す。)に対し、防風防砂林としての機能を営むものとして、これらの農地の利用上その価値と必要性が認められるばかりでなく(もつとも別紙目録記載(五)及び(八)の山林については、若干の問題があるが、この点については後にふれる。)、証人高島忠蔵、同宮沢雄司、同鈴木光司、同長尾安蔵の各証言によればこれらの山林は、ひとり防風防砂用山林としてのみならず、農業経営上必要な薪炭の採取、稲等の乾燥、牛馬の繋留、その飼料用採草等の目的に利用せられ、又特に田の周囲にある山林については、当該田地の地盤が砂地で水利が悪く田の水を確保するため田の底地を堀り下げる必要があり、これらの堀り出した土は、これをその周囲に盛り上げ、これらの土盛りされた土地の上に植樹して山林の育成が計られる等農地とその周囲の山林との間には密接な関係があることが認められるのであつて、これらの諸点に鑑みるときは、本件山林は上記防風防砂の目的に加えて、上記のような諸目的に奉仕し、前記農地の利用上、多大の重要性、必要性を有するものであることを肯認するに充分であるといわなければならない。(前記のように、本件買収後被告高島等を除く他の耕作者等も、その農地周辺にある山林を原告から買い受けるに至つているが、これらの者が、敢えて右山林の買取りをなしたという事実も、耕作する農地の利用上これらの山林がいかに必要であるかということを示しているものというべきである。)

四  次に原告は、仮に本件山林が農業施設として被告高島等にとつて必要であるにしても、その買収地域は広大にすぎ、その必要限度を越えていると主張する。

本件山林が防風防砂その他の農業用目的のために右被告等にとつて必要な施設であることは前叙のとおりであるが、特に防風防砂の目的からいえば山林がかかる機能を営むためには相当広い面積を必要とし、むしろそれが広ければ広いほど効果があるとも考えられるから、その山林がこれによつて保存される田畑に比し著しく広大で、防風防砂の目的のためには、その一部の山林の存在のみで必要かつ充分であると認められる場合は格別として、そうでない限り、田畑の面積に比して多少広い山林であつても、そのためにその買収が必要の限度を越えるものということはできないと解するのが相当であるところ、検証の結果に徴しては、本件山林がこれによつて保護される田畑に比して特に著しく広大であるものとは認め難い。もつとも検証の結果によると、被告堀口の取得した別紙目録(八)の字喜多村上三三七六番の三の山林中の東側の同所三三七五番と三三七四番の畑を直接囲繞する部分は他の本件山林の場合とくらべて、その囲繞する畑に対してやや広大にすぎる感がないでもなく、現に同被告において、その一部を開墾して畑に転用している事実を認めることができるし、又被告長尾についても同被告が取得した別紙目録(五)の字喜多村上三二一八番の二は同被告の宅地同所三二一〇番を囲繞するほか、買収農地としては単に同所三二〇九番の極く狭い畑(被告の主張によるとその面積は一畝歩)を囲繞するだけで右山林面積五反一畝一八歩に比較するとき、一見広大にすぎるとの感がないでもない。しかしながら、右(八)の山林について言えば、右山林は前記二筆の畑のみならず他に一一筆の田畑を囲繞する一筆の土地であつて、その東側の部分も単に、これによつて囲繞せられている二筆の畑のみならず、他の一一筆の田畑に対しても防風防砂の役割を果すものであることは検証の結果に徴し容易に推認し得られるところであり、単にその東側の部分のみを他と切り離して、その面積とこれによつて囲繞せられる畑二筆の合計面積とを比較し、前者が後者より広大であるとの一事を以てその買収を必要限度を超える過大な買収であるとすることは妥当でない。又被告堀口が買収に係る(八)の山林の一部を開墾して畑にしている部分は、検証の結果によれば田畑と田畑に挾まれた山林部分の一部を耕作したものであり、全般的にみれば右(八)の山林の防風防砂用の効果にさして影響がないと考えられる場所であることが認められるのであるが、このように一筆の山林中、厳密に言えば、その一部を切り離しても他の部分のみで防風防砂林としての効用やその他前述のような農業用付帯施設としての用途に格別の影響を生じない場合であつても、その不必要な部分が相当大きな割合を占め、かつ、これを他と切り離すことが比較的容易で、それが独立の土地としての使用価値を持ちうるような特別の場合は格別、そうでない限りは右一筆の土地の全部を買収してもあながちこれを違法と解すべきではないと考えるのが相当であるところ、前記被告堀口の耕作に係る部分の土地につき、右のごとき特段の事由を認めることはできないから、これを含めて前記(八)の山林全部につきなされた買収が必要な範囲を超える過大な買収として違法であるとすることはできない。次に(五)の山林についてみるに、右山林によつて囲繞せられている宅地は、後記のように、被告長尾の申請に基づき農業経営上必要な宅地として適法に買収されたものであり、検証の結果によれば、右山林は右宅地及びその地上にある同被告の住家に対しても防風防砂林たる役割を演じているのみならず、道一つを隔てて西側に存在する同所三二一二番、三一四七番の広大な畑を東方の海岸から吹きつける潮風から保護するための重要な防風防砂林であることを窺うことができるのであつて、これ又右山林によつて囲繞される畑の面積のみと比較して広大すぎるとの一事を以てその買収を必要限度を超える買収とすることはできない。もつとも、検証の結果によれば、右山林の前記宅地から東側の部分は、二九メートルの幅間を持ち、従つてその一部を切り離して残余部分のみを買収しても、防風防砂の目的からすれば格別の影響は受けないと考えられないでもないけれども、しかしその部分は一筆の土地たる右(五)の山林の中でも比較的僅少の部分にすぎないから、上に述べた理由により、右部分を含めて右一筆の全部を買収したとしても、これを目して違法とすることはできない。よつて原告の上記主張も理由がない。

五  次に原告は、本件山林の買収申請は期限を徒過しているから無効であり従つて本件山林の買収も無効であると主張する。

被告高島等が自創法第一五条にいう農地の売渡しをうけたのは、昭和二二年一二月二日であり、本件山林を右農地の利用に必要な農業用施設として同条により買収の申請をしたのは、それより約一年五ケ月を経過した昭和二四年四月二二日であることは当事者間に争いがないが、この種の申請につき、その期間が農地の売渡しを受けた日より一年以内と定められたのは、昭和二四年法律第二一五号農地調整法一部改正法第八条において自創法第一五条の規定が改正せられた結果であつて、それ以前においては、自創法上右申請につきかかる期間の制限はなかつたのであり、被告高島等が前記買収の申請をしたのは、右改正法の施行日である昭和二四年六月二〇日以前のことであるから、右申請については、期間徒過による違法の問題は起り得ないものといわなければならない。よつて原告の右主張も理由がない。

六  更に原告は、別紙目録(一)の山林は、後記(三)の宅地を囲繞する防風防砂林として右宅地とともに被告高島の申請に基づいて買収されているが、右(三)の宅地上には、同被告の父である訴外高島忠蔵の建物があり、同訴外人が右宅地の使用権者なのであるから、被告高島は右宅地の買収申請をする適格を有せず、同被告の申請に基づいてなされた右宅地の買収は無効であり、従つてその宅地の防風防砂林として同被告の申請に基づいてなされた(一)の山林の買取も無効であると主張する。しかしながら(一)の山林はひとり右宅地の防風防砂林としてのみではなく、同山林によつて囲繞せられている前記字松蔭一一五七番、一一五八番、一一五九番の三筆の田畑の防風防砂林及びその他の農業経営上の目的に必要なものと認められること上記説示のとおりであるのみならず、右(三)の宅地の買収についても、原告主張の如くこれを無効とすることはできないことは、以下に述べるとおりである。すなわち、右(三)の宅地が被告高島の申請に基づき自創法第一五条第一項第二号の規定により買収されたものであること、右宅地上に高島忠蔵所有の家屋が存在していることについては当事者間に争いがなく、同被告所有名義の家屋が同宅地上に存在しないことについては被告等において明らかに争わないからこれを自白したものと見做すべく、右事実に徴すれば他に別段の事情の認められない本件においては、右(三)の宅地につき使用権を有する者は、前記高島忠蔵であつて被告高島ではないと認めるのが相当である。しかしながら、一般に我国の農業経営が個人単位でなく世帯単位で行なわれているのが実体であること、自創法自体においても右の実体にかんがみ農地買収の要件等を定めるに当つて権利関係の個人的な帰属というよりは世帯単位にその帰属を考えていること(第二条第四項、第四条等)に徴するときは、同法第一五条第一項第二号の解釈についても、これを世帯中心に考え、農地の売渡しを受けた者自身が宅地につき使用権を有しない場合でも、その者の属する世帯の他の一員がかかる権利を有するときは、右の売渡しを受けた者において右規定に基づき当該宅地の買収の申請をすることができるものと解するのが相当であるところ、本件においては、前記宅地の使用権者たる高島忠蔵は被告高島の養父で、これと同居して一世帯を形成していること前記認定のとおりであり、被告高島が自創法第一六条により農地の売渡しを受けた者であることもすでに述べたとおりであるから、同被告は前記(三)の宅地の買収申請をするにつきなんらその資格に欠けるところはないといわなければならない。よつて右(三)の宅地の買収が申請資格を欠く者の申請に基づきなされたもので無効であるとする原告の主張は理由がない。

七  次に原告は、別紙目録(五)、(六)の山林及び同(一一)の宅地はいずれも被告長尾の申請に基づいて買収されたものであるところ、同被告は右買収申請をなすべき資格を有せず、又右山林及び宅地は同被告のための農業用施設とは言えないから、これらの山林宅地の買収処分は無効であると主張するので、この点について判断する。

右(五)(六)の山林によつて囲繞せられている農地が被告長尾において売渡しを受けたものでなく、訴外長尾安蔵が昭和二二年一二月二日に被告国から自創法第一六条に基づいて、売渡しを受けたものであることは、当事者間に争いがなく成立に争いのない甲第一二号証の二及び証人長尾安蔵の証言によれば被告長尾が農地の売渡しを受けたのは昭和二三年一二月二日に畑一反歩の売渡しを受けたのが最初で、それ以前にはかかる売渡しを受けたことはない事実を認めることができる。

しかしながら、自創法第一五条の解釈については世帯中心にこれを考えるべきものであること前述のとおりであるから、同条にいわゆる「自作農となるべき者」の意味についても、ひとり同法により農地の売渡しを受けた者又は受けるべき者のみならず、この者と同一世帯に属し、事実上当該世帯による農業経営の中心となつて右売渡しに係る農地の耕作に従事する者をも含むと解すべきものであるところ、成立に争いのない甲第一号証の一及び証人長尾安蔵の証言によれば、被告長尾は、右訴外長尾安蔵の長男であつて、昭和二一年一〇月四日外地から引揚げて以来、同訴外人と同一世帯にあつて、農業に従事し、しかも右訴外人が老令(本年七七才)のため、当時より同被告において右訴外人に代わつて、農業経営の中心として、農地の耕作管理及び家事の処理をなし現在に至つている事実を認めることができ、右訴外人が自創法第一六条の規定により前記(五)、(六)の山林によつて囲繞せられた農地の売渡しを受けた者であることは前示のとおりであるから、被告長尾は、これらの農地を利用して耕作の業務を営むにつき必要な農業用施設として右(五)、(六)の山林の買収を申請する資格を有する者というべく右(五)(六)の山林が前記長尾安蔵に売り渡された農地の利用上必要な農業用施設であることは前に認定したとおりであるから、原告の上記主張は失当として排斥をまぬがれない。又前記(一一)の宅地の買収については、同地上にある建物が長尾安蔵のものであることは当事者間に争いがなく、かつ、同地上に被告長尾の所有する建物が存在しないことは、被告等の明らかに争わないところであるから、これを自白したものと看做すべく、右事実に徴すれば右宅地につき使用権を有するのは長尾安蔵であつて、被告長尾ではないと認めざるを得ないけれども、自創法第一五条第一項第二号の宅地買収の要件としての宅地の使用権が同条にいう自作農となるべき者の有するものではなくても、これと同一世帯に属する者が有しておれば足りることは上記六において述べたとおりであるから、被告長尾は右宅地につき前記規定に基づく買収の申請をする資格に欠けるところはないといわなければならない。よつてこの点に関する原告の主張も理由がない。

八  最後に別紙目録(九)の、被告長島に売り渡された宅地についての原告主張の無効原因について判断する。

まず第一に、原告は、同被告には、自創法第一五条の買収申請資格がないと主張するけれども、成立に争いのない、乙第一ないし第五号証、証人高島忠蔵の証言、並びに被告長島三子雄本人尋問の結果によると、同被告は、本件宅地を農業用施設として、付帯買収の申請をなした以前である昭和二三年一二月二日に畑一反七畝の、本件宅地の売渡しと同時である昭和二四年三月二日に畑八畝の、それぞれ売渡しを受けていることを認めることができるから、同被告は自創法第一五条にいわゆる自作農となるべき者に該当することは明らかであり、(原告は、仮に同被告が農地の売渡しを受けたとしても、同被告は売渡しを受ける適格を有しないから、右売渡し自体が無効であると主張するけれども、右主張の事実を認めしめるに足りる証拠はない)そして右(一一)の宅地は、一部は同被告の居宅の敷地として、残余は米麦の乾燥場ないしは堆肥の蓄積場として使用せられているものであつて、同被告は右以外に宅地を有しないことは、同被告本人尋問の結果によつて、これを窺うことができるから、右宅地は同被告による農業経営上必要なものであるというべく、従つて同被告が右宅地につき使用権限を有する限り、同被告の申請に基づいて適法に右宅地の買収を申請しうる関係にあつたものといわなければならない。

原告は、右宅地は当時すでに現況宅地であつたから、自創法第五条第一項第五号の法意から見て、買収から除外すべきであると主張するけれども、右土地は、原告が自認するように、宅地として買収されたものであつて農地として買収されたものではないから、原告の右主張は主張自体理由がないものといわなければならない。よつて進んで被告長島が本件宅地について適法な使用権限を有しなかつた旨の原告の主張の当否について判断するに、証人鈴木光司、同高島忠蔵の各証言及び被告長島三子雄本人尋問の結果によると、被告長島は昭和一八年ころ軍隊から復員し、分家の上独立して本格的に農業を営むこととなり、そのために適当な宅地を探していたところ、訴外鈴木光司が原告から借り受けて小作している畑の一部を転借し、これを宅地化しようとしたが、食糧難のころのこととて原告側から右農地の転用を差止められたため、改めて、右鈴木が原告より無償で借り受け使用収益していた山林の一部を更に無償で借り受け、これを宅地化することとなり、右鈴木は、被告長島と一諸に昭和二〇年三、四月ころ右転貸と転用につき、承諾を求めるため原告方に赴いたところ、原告が不在のため原告の長男である訴外柳川洋一と会つて、その許可を受け、昭和二〇年六、七月ころ家屋建築に着工し、同年暮に完成し、以来同家屋に居住して現在に至つているが、この間、本件訴訟が提起されるまで、原告方から何等の異議を述べられたことがない事実を認めることができ、又証人柳川洋一の証言及び原告本人尋問の結果によれば、当時原告は公職のため月のうち半分くらいは東京に滞在していたので、その不在中は、当時旧制国立大学を卒業後帰村し柳川家の家業である農業とみそしよう油醸造業に従事していた前記柳川洋一が父に代つて家業を処理していた事実を認めることができる。これらの事実をあわせ考えると、右洋一は被告長島申出の右転貸転用についての承諾をするについても原告を代理する権限を有していたものと推認するのが相当である。柳川証人の証言及び原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分はたやすく措信し難く、他に右認定を左右すべき証拠はない。そうだとすると、被告長島は、右(一一)の土地につき、これを宅地として使用する適法な権限を有していたものであるから、同被告の申請に基づいてした右宅地の買収処分にはなんらの違法がないものと言うべきである。

よつて、この点についての原告の主張も、又理由がない。

九、以上の次第で、別紙目録記載の山林宅地の買収処分が無効であるとする原告の主張は、すべて理由がないから、右買収処分の無効を前提とする原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなくすべて失当として棄却を免れない。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 位野木益雄 中村治朗 清水湛)

目録

土地の表示

(一)

茨城県鹿島郡波崎町柳川字松蔭一二一二番の二

一 山林 一反七畝二二歩

(二)

同所一一〇六番の二

一 山林 六畝二五歩

(三)

同所一〇七五番の四

一 山林 三畝二六歩

(四)

同所一〇七五番の三一山林二〇歩

(五)

同県同郡同町柳川字喜多村上三二一八番の二

一 山林 五反一畝一八歩

(六)

同所三一九八番の二

一 山林 三反五畝一五歩

(七)

同所三三九三番

一 山林 五反五畝八歩

(八)

同所三三七六番の三

一 山林 六反七畝四歩

(九)

同県同郡同町柳川字松代二三八四番の四

一 宅地 一二〇坪

(一〇)

同県同郡同町柳川字松蔭一一五六番

一 宅地 三〇〇坪

(一一)

同県同郡同町柳川字喜多村上三二一〇番

一 宅地 一六四坪

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